「これっ、あのとき特訓でやった文章だ!!最後の最後で、あきらめるしかなかった、あの超難関の!」
今年の2月1日に起きた「とある奇跡」を紹介します。
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少年は5年生になる直前の2月にSAPIXの門をたたきました。しかし入室テストは不合格。2回目の挑戦でなんとか下位クラスに滑り込むことになります。
もともとの素質もあったのでしょう。その後メキメキと頭角をあらわした彼は、6年の冬には超難関校を狙えそうな位置にまで到達します。
挑戦に難色を示す両親に過去最高の成績を叩きつけ、意気揚々と乗り込んだ志望校別特訓。しかし、そこで彼を待っていたのは、あまりに厳しい現実でした。
夢の志望校の出題傾向に対する経験が決定的に足りていないことが明るみになったのです。
教室の最後列が定位置になる日々でメンタルが削られることを心配をした両親は、懸命に少年を説得しようとします。
「お前は一生懸命頑張っていた。それは、パパもママもよくわかっている」
こんな言葉から始まった家族会議。少年が傷つかないよう、意欲を失わないよう最大限の配慮をしながら話し合うなかで、ついに超難関校の断念が決まります。結局、2/1には元の志望校を受験することになりました。
1割が東大に進学するその学校もかなりの難関であることに変わりありません。少年は志望校別特訓を早慶レベルに変えてからは好位置をキープし、モチベーションも維持しながら本番の日を迎えます。
試験会場で彼を待っていたのは、心折れず、努力し続けた彼を祝福するかのような出来事でした。
最大の懸念材料だった国語。その国語で、泣く泣くあきらめた学校の志望校別特訓でやったのと同じ文章が出題されたのです。しかも設問までもが似たような内容でした。最初の科目で勢いを得た彼は、残りの算理社も順調にこなし、見事、合格を勝ち獲ります。
「中学受験をして一番良かったと思ったのは、子どもが学ぶ楽しさを知ったことですね」
彼の父親は当時をこう振り返ります。中学1年生になった少年は、今では学校生活を楽しみながら成績上位層に位置し、学外のテストにも意欲を燃やしているといいます。
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※参照元:歩と桂馬の偏差値34からの中学受験
下位クラスでサピックスに入塾し、2年足らずで偏差値65(SO)に到達した少年と家族の軌跡。私には入試を翌月に控えた時期の家族会議でのやり取りが最も印象的でした。少年を奮起させるサピックス講師の言葉がけも上手いものですね。受験生の親にとって学ぶことの多い記録だと思います。
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