中学受験と児童書と

「中学受験」と「児童書」について真面目に考え、気楽に吐き出す

【本気レポート】わたしたちの記念日 ~或るゆる受験女子の誓い~

日頃のメンタルと受験本番のそれは別物だという言説を目にしたことがあります。

実力を発揮できるかどうかは、当日になってみなければわからないというのです。

 

今回紹介するのは直前期にも「受験が楽しみ♪」と言ってはばからなかった元気女子。

 

天性の陽気をまとうムードメーカーは、十二歳の二月に何を見たのでしょうか?


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人生最悪の日(2022年2月4日)

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私、どこで道を間違ったんだろう。


ソファの隅で膝を抱えたまま考えてしまう。

冷たいほど真っ白な明かりに煌々と照らされた部屋で、さっきから頭の中を同じ言葉がグルグル巡っている。

 

「こわい……。嫌……。こわい……」

 

とめどなく涙があふれ、ポタリ、ポタリ、こぼれ落ちていく。隣で背もたれに体を預けたママも頬をびっしょり濡らして、繰り返し洟をすすっている。

 

「見なくていい、結果なんて」

 

ボソリと告げた私の様子に抑えられなくなったのか、またママが嗚咽を漏らす。

おううぅ… 。言葉にならないうめきの先に「ごめんなさい、優花」って消え入るような声がきこえた。

 

見たことない。こんなママ、見たことがない。まるで急に何年も老けてしまったかのよう。そんなあわれな姿が、私の哀しみをいっそう膨らませる。

 

ううん、あやまらないで。私が悪いの。できなかった私が。

 

浮かぶのは自分を責める言葉ばかり。けれど口ごもる私。言葉にはならない。

話そうとしても、ヒッ、ヒックってなってしまう。

 

ただ止まらない。感情があふれだすのが止まらない。ぬぐってもぬぐっても、あとからあとから流れ出る涙。そのせいで、ずーっと視界がゆがんだままだ。


つけっぱなしのテレビからは、アナウンサーの昂ぶった声が垂れ流されている。たぶん沈黙に耐えられずにつけていただけの番組。

ちょうど北京オリンピックの開会式を伝える中継がはじまっていた。

ぼんやり目に映るきらびやかな映像に、ふつふつと怒りが湧いてくる。


どうしてこんな日にお祭り騒ぎをしてるんだろう。なんで人の気も知らずに花火なんか打ち上げてるんだろう。

こんな日なのに、なんで。なんで。

 

・・・わかってる。ただのやつあたりだ。

 

気持ちを断ち切るようにきつく目を閉じると、大粒の涙がこぼれ落ちた。

 

エアコンをガンガンにきかせているのに寒気がする。ココロとカラダって、深いところでつながってるんだな…。

 

気づけば八時二十分。

 

合格発表の時間はとうに過ぎている。運命の瞬間っていうのも、これで、もう七回目。けれど、目の前には不安しかなかった。

 

さあ、見よう、と大きく息を吸っても、そのままフゥとため息がもれるだけ。

動けない。動きたくない。気力がどこかへ行ってしまったかのよう。

ママと二人、ただ、ひたすら泣き続けるしかなかった。

 

これから起こる恐ろしい現実が、簡単に想像できてしまう。それだけの経験を、この数日間で嫌というほど味わってきた。


悪夢だった。それは十二歳にして初めて味わう、本当の悪夢だった。


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入試の初日、二月一日はまだ元気だった。午前と午後に別の学校を受験して、とても疲れたけど楽しみな気持ちで夜の発表を待てた。

 

けれど、二日目には穏やかでいられなかった。さすがに前日の連敗がこたえた。

また午前と午後に受験。初日よりも入りやすいところをママが選んでくれた。

今度は少し手応えがあった気がした。

なのに結果はまたしてもゴメンナサイだった。

 

三日目にも午前と午後にテスト。こんなに続けて試験を受けたことなんてない。

けれど、ひとつも合格が取れないので、できる限り試験を入れることになった。

私の成績なら合格できるはずの学校。

 

「見学もしてない中学に通うのかな、私」


そんな気持ちでとぼとぼと試験会場に向かう。疲労はたまりにたまっていた。気分もいまいち乗らない。

それでもがんばったんだ、私。

なのに、またしてもだめだった・・・まさかの六連敗。

こたえたなあ…。

 

四日目の今日も入試は続いた。誰かが中学入試はデスロードって言ってたっけ。


本当だね。


朝から頭がぼーっとする。眠っても疲れが抜けていかない。

またママが午前と午後に受けられるよう出願した。

全然志望校じゃないところだけど、もう選べないからしょうがないよね。

 

中学受験も終盤戦。まわりの子たちも、なんだか元気がないように感じられた。

試験中は頭を使って問題を解くっていうより、答案を埋めるだけの作業をしている感覚だった。もう、できているのかどうかさえ全然わからない。

 

三時間にわたるむなしいおつとめが終わった。


ただ疲れた。


校門前でママと待ち合わせて昼食へ向かう。

今日はもう「どうだった?」って聞いてこないんだね。聞かれるとすごく嫌だったのに、聞かれないとそれはそれで嫌。期待されなくなったのかな?とか思ってしまう。

 

ふらり立ち寄ったファミレスのお手洗いで、鏡を見てギョッとした。

そこには生気のない誰かの顔が映っていた。

肌はボロボロ。顔色はサイアク。目にもチカラがない。

あわてて表情をつくろうとするけど、できたのは引きつったように口角が上がった顔。


その瞬間、スイッチが切れたんだ。

こんなの私じゃない。


涙目で席に戻り、向かい合ったママに拝むように「お願い、もう無理。午後、休ませて」と告げた。

せっかく出願してくれたのに、と思うと顔を上げられなかった。ママの顔をまともに見るのが怖かった。

 

でも、意外にもあっさり「いいよ」って受け入れてくれた。ビックリして視線を上げると、ママの目も真っ赤だった。

 

疲れ切っていたんだね。ママも。

 

そのあとは二人で黙々と並べられた食事を口に運び、まっすぐ帰宅した。


大好きなはずのトマトクリームパスタなのに、嫌な後味だけがいつまでも口の中に残った。


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あの日の誓い(2024年1月29日)

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あの子ったら、また洗面所を独り占めして。


厚切りトーストと目玉焼きにサラダを添えた朝食をペロリと平らげると、鏡に張りつくこと二十分。これが娘の毎朝の大切なルーティーンだ。

鼻歌交じりにセミロングの髪をとかす横顔は今日も溌剌としている。

よしっ、という妙に気合の入った声に思わず含み笑いを漏らすと、キッチンからの視線に気づいた優花が「あ、ママー、今週の木、金は学校ないから。部活も」と告げてきた。

ん、わかってるよと応じながら、もうそんな季節なのかとしみじみ感じる。

 

そういえば学校からのお知らせに、やたら目立つ書体で書いてあった。

二月の休校期間中は「ディズニーランド禁止!」だと。

 

入試シーズンの到来を知り、かすかな胸の痛みとともに二年前の出来事が思い起こされた。

悪夢のようだったあの日々。とりわけ、一生分の涙があふれ出たようにすら感じたあの日。

 

あの長い長い一日のことを私は決して忘れないだろう。


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二年前の二月四日、娘とともにただただ泣きはらしているしかなかったあの夜。

淀み切った空気を吹き飛ばしたのは、帰宅するなり夫が放った一言だった。


「オメデトー!」


玄関のカチャリという音とともに、芝居がかった声が家じゅうに響き渡った。

一瞬、呼吸が止まった。

え…?

いま、なんて?

優花と視線が合う。彼女も目を見開いて固まっている。

 

「いやー。やったな。とうとう」と満面の笑みでリビングに入ってくる夫。

「あれ?どうしたの二人とも。そんなとこでくっついちゃって」といぶかしがる彼に、ひょこっと立ち上がった優花が足音を立てて向っていく。

 

「ねえっ!なに勝手に見てんの?」

 

自分で見たかったのにぃ~ なんて言いつのりながら夫の胸をポカポカ叩いている。

 

そんな姿がたまらなくおかしくて、いとおしくて、思わず後ろから抱きつき、夫とサンドした。

「いやー、キレながら笑い泣きしている人を初めて見たよ」とこぼす夫。

デレっとしたその瞳を、間違いないのよね?という意図でジッと見つめると察した夫は慌ててうんうんうなづき、ほらっとスマホの画面をこちらに向けた。

 

「番号間違えてないよね?」

「もちろん。生年月日も入力したから間違いないって。名前だって出てるし」

 

瞬間、そのスマホを優花が奪って私たちの間からすり抜けた。

 

サクラ色の通知画面に興奮してキャーキャーいいながら飛び跳ねる十二歳。居ても立っても居られないようにジャンプしながら右腕をぐるぐるまわしている。スマホもまわる。

 

そんな彼女を、着地の瞬間にもう一度つかまえてギュっと抱きしめた。優花も思わぬ強さでひしっとしがみついてくる。

 

ぬくもりはどこまでもあたたかい。再びこみあげてきた嗚咽がしばし交ざり合う。

何も言わなくても、ただそうしているだけで気持ちが一つになるような確かな感触があった。

 

突然、季節が変わったような熱に包まれた部屋で、テレビからこぼれ出る祝賀ムードまでもが、わたしたちの喜びに花を添えてくれているように感じられた。

 

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あの日、あのときの心の奥底までの共振は、涸れるほど泣きぬれた二人だけの大切な記憶だ。

 

後にも先にもこんな経験をすることはないだろう。


結果だけを見てしまえば、安全校まで含めた六連敗からのしょっぱい勝利。

人はそれを嗤うかもしれない。見下すのかもしれない。

 

本当をいえば、私も理想と現実のはざまでしばらくはモヤモヤを抱えていた。あんなにがんばったのに、お金も時間もかけたのになどと未練たらしく考えもした。

 

けれど、優花は私なんかよりも早く持ち前の明るさで前を向いて、力強く歩みはじめた。

その生き生きとした姿にどれだけ救われただろう。奮い立たされただろう。

たくましく成長していく娘の姿には、このうえなく大切なことを教えられた。


十二歳の学びの到達点である中学受験の結果。

それが大事なのは理解しているつもりだ。嫌というほどに。

されど、それとて人生にあまたあるチャンスの一つに過ぎないのも本当だ。


先は長い。

何が吉と出るか、凶と出るかなんて、今はわからない。

 

ただ一つ言えるのは、ものごとの受け止め方も、その先の未来も、自分しだいだということ。

 

だから、これからの人生も、しなやかに、自分らしく歩んで行ってほしい。

まだまだ危なっかしいところもあるけど、優花ならきっと大丈夫。

 

人よりいっぱい泣いたあなたは誰よりも強いんだから。


ゆっくり丸皿を拭きながらながらそんな思いにふけっていると、制服に着替えた当人が目の前をサッと横切った。通学カバンを片手に颯爽と玄関へ向かう背中に目を細める。


天性の陽気をまとうムードメーカーは今日も元気だ。


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「ねぇ、優花。学校、気に入ってる?」


出がけにいきなりママが切り出してきてびっくりした。

たぶん、もうすぐ入試期間って言ったから昔のことを思い出したんだろう。

 

今になってみれば二年前のことは、はるか遠い出来事のように感じる。

あのときは人生どん底のように感じた。本当の悪夢のように。

 

でも、ちょっとまわりのことが見えるようになってわかった。

あんなの悪夢じゃない。もっと大変なことが世の中では起きてる。それこそ毎日。

 

それに私の人生のクライマックスはあれじゃない。もっともっとうれしくて涙、涙になる経験をいっぱい積んで、重ねて、上書きしてやる。

 

だって、私、決めたんだ。

”これから進む道を一番いい道にしてみせる”って。

あのときママにしがみついて、泣きまくりながら誓ったんだ。

 

だから立ち止まってなんていられない。

 

人生っていうでっかいゲーム。私は手にしたカードで戦い抜く。楽しみ尽くす。

 

それが私だ。

それでこそ私だ。

 

さ、今日も行くよ。大好きなみんなが待ってる、私がいちばん私でいられる場所へ。


ローファーを履きながら、「・・・ったり前じゃん」とだけ言い置くと、弾みをつけて家をとびだした。

 

私は、私の進む道を正解にしてみせる


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 あ と が き

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最後までお読みいただきありがとうございます。

 

たった五千字ほどの記事ですが、仕上げるのには半年以上もかかりました。作家さんたちの大変さがほんの少しだけわかった気がします。


今回の話は大部分が創作です。骨子となる重要箇所が現役ブロガーさんの実体験で、あとはほぼ想像で肉付けしたフィクションだとお考えください。


つまり、この物語は実在する人物・団体等とはあまり関係ありません。


なお、エピソードをくださったその方からは「しんどい思いをされているママたちの気持ちが少しでも楽になったらという思いで体験をブログに書きました」というコメントとともに「頑張っている子どもと親御さん全員を応援したいです」というあたたかいメッセージを頂戴しています。

 

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